こんにちは。久保です。

最近よく「トレーナーは○○であるべきだ」という議論が(僕の周りで)絶えないように思います。

よく言われているのは「トレーナーならいい体であるべき」「トレーナーは重いの挙げられないと説得力がない」という意見に対して「いや、トレーナーっていうのは教える人だから、知識があって教えられればいいんじゃないの?」という意見のぶつかり合いです。

最初に結論からいうと「うん。どっちも大事だね。」ってなるんですが、どうも今後も水掛け論的な論争が続きそうなので、僕の思うことをこの場を借りて書かせてください。

名人は人を謗らず

日本の諺で「名人は人を謗らず」というものがあります。これは「名人は人を妬んだりする必要がないので、未熟な部分や短所を批判しない」といった意味です。

「あいつは知識だけだから」とか「彼はカラダだけだからね」なんていうのはまさにそれです。お互いの短所を批判し合って、結局水掛け論になって感情論になります。

それと同時に、他人の持っているものは羨ましく見えるのが人間なので、それを悪口で隠しているようにも感じられます。

トレーナーはカラダだろ派の主張

自らがトレーニングを積んでいた過程で、それをそのまま「トレーナー」という職業にする方も多いかと思います。こういう方からすると、目の前の数字や文章だけを読んで資格を取って「トレーナー」を名乗る人は許せないんでしょうし、「トレーニングをしていないとわからないことがある」というのはごもっともだと思います。ぐうの音も出ません。さらには、トレーナーがごつくないと説得力がない、というのも、そういった考えの選手もある一定層確かにいるので、これも間違いではありません。

ただし、これでは「知識だけ」の人を批判するのには無理があります。なぜかというと、自らがトレーニングをして得たのはあくまでも「経験」や「感覚」の範疇を出ないので、それが一般論となるかどうかは別だからです。お金をもらっていれば尚更です。

教えられればいいんじゃない?派の主張

対してこちらの主張は「トレーナーっていうのは教えるのが仕事なんだから、自分ができてても教えられなきゃだめでしょ」というものですが、これも正論だと思います。どこも間違ってません。

だけど、こちらの意見も「カラダだけ」の人を批判するのにも無理があります。上に書いた通り、トレーナーにカラダ的な説得力を求める選手ももちろんいますし、山本五十六の言葉にある通り「やって見せ」から始まらないと人は動きません。「お前、できねーのかよ」ってなるのは当然です。しかも、もともと、アカデミックな論文というものは現場から疑問が生まれてそれを検証することが多く、現場とは切り離せない関係にあります。

自分の感覚を疑うべし

人間の感覚というものは本当にアテになりません。だって、熱を出している時は体温は暑いのに、寒気がしますよね。よーく考えたらおかしいですもんね。あれは端的に言えば「カラダが冷えている感覚」なのに実際は「体温が上昇している」んですから。よく話題になる下記の色の錯覚も「感覚や経験」で答えると間違えてしまういい例です。だってフツーに見たらAとBって違う色じゃないですか。これは「AとBが同じ色である」という知識を持って初めて正解します。

ここで一つ、面白い論文を紹介します。こちらは医学四大雑誌の「The Journal of the American Medical Association : JAMA」という雑誌に紹介された「Cardiac and Thermal Strain of Elderly Adults Exposed to Extreme Heat and Humidity With and Without Electric Fan Use」という論文です(以下グラフ参照)。

この論文の結果だけ簡単に説明すると、「暑熱環境下で高齢者が扇風機を使うと逆に深部体温が上昇する。」というもので、最初見たときはかなりインパクトがありました。けど、もちろん扇風機の風を浴びているはずなので涼しいはずです。なんでだろう?感覚と違うぞ?ってなりませんか?

やってみせよう

上にも引用しましたが、かの有名な山本五十六は、人にを動かす際に「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」と言っています。なので、何かのメカニズムを探ったりするのは僕も大好きですし、重要なことだと思いますが、まずは「やって見せ」ができるようにトレーニングをするのがトレーナーだと思います。

最後に

間違っていることに関して建設的な反対意見を述べるのはいいことだと思います。けど、自分ができないことをただの悪口で埋め合わせするのはやめましょう。